§5-3 西ヨーロッパ中世世界の変容

十字軍

  • 三圃制や重量有輪犁の発明による開放耕地制の普及 / 水車の発明 などの農業効率の向上により人口が増加する。
  • 西ヨーロッパの人口増加により、オランダの干拓やアルプス高地の開拓を始めとする、大開墾運動が起った。ドイツ人によるエルベ川以東のスラヴ人居住地に対し行った「東方植民」は強烈。また巡礼も流行した。 12-13C
  • ウルバヌス2世が開いたクレルモン宗教会議で、セルジューク朝に対する軍事攻撃(十字軍)が提唱された。200もの間断続的に失敗続きに終わり、教皇権の失墜に繋がった。 1095
  • [十字軍] 宗教会議の翌年、第1回ではイェルサレムを奪還し、その後イェルサレム王国が誕生した。この時、巡礼の保護のための宗教騎士団としてヨハネ騎士団やテンプル騎士団が設立された。 1096-99
  • [十字軍] 第2回では、サラディンの登場によりあえなく負け、さらに彼の建てたアイユーブ朝によりイェルサレム王国が奪還される(1187)。 1147-49
  • [十字軍] 第3回では、ドイツ皇帝フリードリヒ1世・イギリス王リチャード1世・フランス王が征くが、半ばで仲人のドイツ皇帝が死にアッコンを奪回後、仲違いによりイギリス王単独で戦うも負ける。また、この時ドイツ騎士団が設立された。 1189-92
  • [十字軍] 第4回は、インノケンティウス3世により提唱されるも、ヴェネツィアの進言によりなぜかコンスタンティノープルを攻撃・占領し結果ラテン帝国が樹立する。この後、少年十字軍が集う(1212)。 1202-04
  • [十字軍] 第5回では、一度中継地点に辿り着く前に敗北するも、親イスラームの皇帝フリードリヒ2世の交渉によりイェルサレムが回復する。しかし再び奪われる(1244)。 1219-32 / 28-29
  • [十字軍] 第6回では、ルイ9世イェルサレムのまたの奪還に憤慨し、単独で行った。しかし、アイユーブ朝に変わったマムルーク朝により撃破される。彼は後に第7回を結成するも攻撃先の北アフリカチュニスにて病没(1270)。 1248-54

商業上の発展

中世都市の成立

  • 11-12C以降、商工業の発達に伴い領主から自治権を獲得し(特許状)、各地に置かれた司教座都市を中心として自治都市ができた。イタリアでは自治権を領主から買い取り市民が自治する「コムーネ」が、ドイツでは領主の下で諸侯と同格の権利を与えられ運営する帝国都市(後に自由都市)などがある。
  • 自立しても人口・規模が小さい自立都市は寄り集まり、「都市同盟」を締約した。フリードリヒ1世に対抗してのミラノ中心でのロンバルディア同盟リューベックを盟主とするハンザ同盟など。
  • 中世都市では、ギルドと呼ばれる同業組合を作った。商人は相互扶助と市場独占を目的とする商人ギルドを、手工業者は親方―職人―徒弟を単位とする厳格な規約を持つ同職ギルドを作った。
  • 13C中頃以降、諸都市でツンフト(同職ギルド)が、先に独占していた商人ギルドに対する闘争(ツンフト闘争)が頻発した。
  • 中世都市の発展に伴い、アウグスブルクを本拠地としたヨーロッパ随一の金融業者であるフッガー家や、フィレンツェの市政を掌握するフッガー家など有力商人が登場した。

封建社会の危機

  • 13-16世紀頃、黒死病の流行と人口減少により農民が農奴を脱し生産物・貨幣地代制の「独立自営農民(ヨーマン)」として働く「農奴解放」が起った。中には封建社会の回帰を狙い「封建反動」を起こす領主もいた。
  • 農奴解放の嚆矢として、ギヨーム=カールによるジャックリーの乱(1358)や、ワット=タイラーの乱(1381)などの農民一揆が起った。ワットタイラーの乱はワット・タイラーとその指導者ジョン・ポール("アダムが耕しイヴが紡いだ時、誰が貴族であったか")が指導。
  • 貨幣経済の普及により国王は位置を高め、対して火器の使用・傭兵の流行などの戦術の変化により騎士は遍く没落し国王の宮廷で働く官僚(廷臣)などになった。

教皇権の衰退

  • 財源を希求していたフランス王フィリップ4世は聖職者に対する課税を目論見、強硬に反対したローマ教皇ボニファティウス8世はアナーニに幽閉された(アナーニ事件)。その後、彼はクレメンス5世から連なるローマ教皇を7代69年間アヴィニヨンに強制移住させ監視下に置いた(教皇のバビロン捕囚)。
  • 教会大分裂(大シスマ) アヴィニヨンにいる教皇に対しドイツ皇帝・イギリス王が新たにローマに教皇を擁立し、互いに正統を主張した。 1378-1417
  • ウィクリフは、イギリスの神学教授で、聖書の英訳を図り宗教改革運動の嚆矢となった。
  • ウィクリフ宗教改革運動にチェコのフスは共鳴し民族運動を指導したため、コンスタンツ公会議にて処刑される。その後、処刑が原因でフス戦争が起こった。

イギリスとフランス

  • イギリスではノルマン朝が滅び、代わりにアンジュー伯アンリ(即位後ヘンリ2世)によってプランタジネット朝が開かれた。ヘンリ2世の子のジョン王は対フランス戦で連敗し大陸領を失った上、教皇から破門された。
  • 大憲章(マグナ・カルタ) 英ジョン王の失敗に対し、貴族が団結して認めさせた名分法。イギリス憲法の基礎となった。 1215
  • ジョンの長男であるヘンリ3世は大憲章を始め無視したが、貴族の反乱に屈服した。また、シモン・ド・モンフォールらの反乱(1258)に屈し、イギリス議会を承認した(1265)。 Z1216-72
  • 模範議会 英エドワード1世(Z1239-1307)が開催した、各階級2名からなる身分制議会 1295
  • 14世紀、英エドワード3世の頃に、貴族院(上院)と庶民院(下院)からなる二院制議会が完成した。

  • カペー朝はもともと北フランスの弱小国だったが、フィリップ2世が英ジョン王から領地を奪ったり、ルイ9世がアルビジョア派を制圧しして、強くなった。

  • カペー朝のフィリップ4世はボニファティウス8世との闘争に備え、フランス議会の基礎となる三部会を設立した。

百年戦争

  • 仏王は毛織物産業が盛んなフランドル地方を統治しようとした。仏カペー朝断絶の際、英王エドワード3世がこの地域の王位継承権を主張し、戦争が起こった(百年戦争)。 1339-1453
  • [百年戦争] はじめ、クレシーの戦いやポワティエの戦い(エドワード黒太子の活躍による)などでイギリスがフランスに大勝していた。
  • [百年戦争] ジャンヌ・ダルクの登場により、率いられた仏軍によってオルレアンに孤立していた仏王シャルル7世が救出され、仏軍の優位を回復し勝利した。結果、仏北海岸のカレー以外は領地を回復した。
  • [百年戦争] 後、イギリスでは多くの貴族がランカスター家とヨーク家の両派に別れ、王位継承をめぐり内乱を起こした(バラ戦争)。その後ランカスター家のヘンリ(即位後ヘンリ7世)がテューダー朝を開いた。
  • 星室庁裁判所 仏ヘンリ7世が設立した、国王直属の特別裁判所。 1487

スペインとポルトガル

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